おか目八目 平成17年5月1
日本海海戦大勝利100年に当って

 
毎月1日更新
★靖国神社特別展「日露戦争百年展」を見学して


&nbSp;  4月25日号「貫次の最近感じること」に、去る4月8日、靖国神社に参拝して感じたことを川柳とともに掲載しましたので、ご覧頂いた方もあろうかと思います。

 その日は参拝を終えたあと、靖国神社の遊就館において開催中の特別展「日露百年展」を見学いたしました。ところで今年は日露戦争百年目の年でもあり、特に5月27日は日本海において、ロシアのバルチック艦隊を徹底的に撃滅した世界史上においても稀に見る大勝利した記念日でもあります。

 激闘2日間の戦果は、敵戦艦8隻中6隻撃沈2隻捕獲、巡洋艦9隻中4隻撃沈、海防艦3隻中1隻撃沈2隻捕獲、駆逐艦9隻中5隻撃沈1隻捕獲。
 逃走した軍艦も各地で武装解除され、ウラジオストックに逃走できたのは、巡洋艦1隻、駆逐艦2隻だけでした。

 それに対し日本側の損失は水雷艇3隻の沈没のみという、世界中を驚かす一方的パーフェクト勝利の海戦だったのです。

 1.遊就館(日露戦争百年展を含む)展示内容

  遊就館は明治15年、我が国はじめての軍事博物館であり、目的としては一つは殉国の英霊を顕彰することであり、一つは近代史の真実を明らかにすることだと言われています。

 ・先ず玄関ホールでは零式艦上戦闘機52型、高射砲など。

 ・大展示室では人間魚雷「回天」、ロケット特攻機「桜花」、艦上爆撃機「彗星」など。

 ・2階の映像ホールではドキュメント映画「私たちは忘れない」−感謝と祈りと誇りを− が上映されています。日清・日露戦争から大東亜戦争までの近代史の再現。この映画で 東京裁判で歪められた歴史の真実を再確認することができました。

 ・明治維新・西南戦争/展示室では錦の御旗、榎本武揚軍服、官軍の赤・白 熊毛頭など

 ・日清戦争〜支那事変/展示室は乃木希典像、東郷平八郎像、肉弾三勇士のレリーフなど。

 ・大東亜戦争展示室ではトラ・トラ・トラ電文、真珠湾九軍神写真、女子挺身隊血染めの 日章旗、山本五十六長官愛用双眼鏡など。

 ・明治天皇のもと一致団結して義勇公に奉じた全国民の忠勇を、戦歿者の軍 服や遺品、救護看護婦など女性の活躍や国民秘話を紹介コーナーなど。

 ・広大で極寒の戦地に赴いた将兵の軍隊生活の解説。

 ・十万点に及ぶ収蔵品の中から、英霊のご遺書、ご遺品、歴史を語り継ぐ貴重な史資料。

 ・一番に心が痛んだのは幾多英霊の写真展示室でした。神と称えるにしては余りにも生々しい元気な現世での姿だからです。その中には戦友もいるはずですが、悲しみが込み上げ、早々に手を合わしたまま部屋を辞しました。(この特別展は太平洋戦争開戦日の12月8日まで開催されています)。

 2.なぜ「富国強兵」が必要だったか

 さて、我が国は19世紀の後半になり、国内の体制は明治維新で一変しました。また国外については国際社会の一員となるべく進出への努力をしました。しかしその頃、世界の殆どの地域と民族は既に欧米列強によって支配をされていたのです。

 東南アジアにしても、フィリピンはスペイン領(後でアメリカ)、インドシナはフランス領、ビルマ・インド・シンガポールはイギリス領、インドネシアはオランダ領といったようにです。つまり植民地化の大波が全世界を覆い、残されていたのは極東しかなかったのです。

 我が国もそれ以前から、不平等条約を押し付けられ、下手をすると列強の植民地にされる怖れすらありました。そのため、明治時代に入ってからは、国是として「富国強兵」を旗印に、徴兵令を施行し、陸海軍を建設し、日本を守る必要に迫られたのでした。

 その頃、朝鮮半島はロシア、清国、日本の三国のあいだにあり、大そう不安定な状況下に置かれていました。特に清国は朝鮮への宗主権を主張し、それを阻止すべく日清戦争が始まったのです。
 ご承知のとおり、日清戦争で日本が勝利し、賠償金のほかに遼東半島一帯と台湾などを獲得したのでした。
 ところがロシアは日本が遼東半島を領有することは極東の平和を妨げると主張し、ドイツ、フランスとともに遼東半島の返還を強要してきたのです。いわゆる「三国干渉」です。軍事力に劣っていた日本は涙を呑んでこれに屈しました。そして明治の日本人は「臥薪嘗胆」を合言葉に富国強兵に邁進したのでした。

 ところが驚いたことにはロシアは三国干渉の翌年の露清密約で、シベリア鉄道に連接してウラジオストックへの東清鉄道敷設権、ハルビンから大連にいたる南満州鉄道の敷設権を獲得。また2年後には野心をむき出しにして、旅順・大連を租借し、太平洋艦隊の根拠地として要塞の建設を開始したのです。こうしてロシアの特殊権益は北満州から南満州へと拡大してきたのです。
 清国に対する圧力はロシアの他に、イギリスは香港の後背地九龍半島の北部と山東半島の威海衛租借、ドイツは山東半島膠州湾の青島租借、フランスは広州湾を租借など、西欧列強の侵食がいろんなところで続きました。

 さてロシアは満州を事実上武力占領し、さらに朝鮮半島に進出しょうという南下政策をむき出しにしてきました。この動きに対し、日本としてはあくまでも阻止しなければ国家存亡の危機になりかねません。日露戦争はそうした未曾有の国難にあたり、明治天皇の御下に国民が一丸となり、正に国家の興廃をかけた総力戦だったのです。
 戦地に赴いた将兵も銃後の国民も尽忠報国に燃え、私事をなげうって勇猛果敢に戦い抜きました。

 日露戦争での勝利は、東アジアの安定回復と、我が国の国際的地位を大きく改善させ、更には有色人種、非キリスト教文化圏、ロシアによる被圧迫民族に大きな自信をもたらすなど、大変意義深いものとなりました。

 3.自虐する情けない日本
 
 ところが我が国日本はポツダム宣言の受諾、太平洋戦争の敗戦によって、日本人たる自信も誇りも失われた感があります。

 東京裁判の正否にはいろんな評価がありますが、当時フランスのベルナール判事は、「この裁判は法の適用および手続においても誤りがある」と裁判の不当性を指摘しています。
 そしてインドの判事パール博士は、終始一貫して全員無罪、いや「東京裁判は裁判にあらず、復讐の儀式にすぎない」と強く抗議し、裁判自体を違法として、根底から否定をしました。「この裁判は、国際法に違反しているのみか、法治社会の鉄則である法の不遡及まで犯し、罪刑法定主義を踏みにじった復警裁判にすぎない。したがって全員無罪である」との主張でした。

 タイの元首相ククリッド・プラモードが言論人だった頃、「サイヤム・ラット紙」に
 「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話が出来るのは、一体誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。(以下略)」
 ビルマの首相であったバー・モーは回顧録『ビルマの夜明け』の中で
「 日本くらいアジアのために尽した国はない。しかし日本くらい誤解されている国もない」と言っている。
 在日アメリカ人のビル・トッテン氏は、先日の講演で
「大東亜戦争によって、アジア・アフリカ諸国は全て独立した。その中でまだ独立していない国が一つだけ残っている」と言っていた。その一つとはどこの国のことか。言うまでもあるまい。(以上、『日露戦争百年 図鑑』(靖国神社 遊就館より転載)

 それにしても歴代の首相はどうして過去の歴史に対し何回も「反省とおわび」を繰り返すのでしょうか。日中関係にしても、1972年に締結された平和友好条約に、内政についは相互不干渉がはっきりしております。

 なお、占領下に押し付けられた現行の憲法前文に
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあります。しかし、北朝鮮や最近の中国(共産党政権)が、果たして平和を愛し公正と信義に信頼するに価する国でしょうか。また彼らに安全と生存を保持してもらえる決意をしてよいのでしょうか。

 何はともあれ、現行の憲法と教育基本法は日本人としての自信と誇りが持てるよう早急に改正をしなければなりません。

 

 


靖国神社の遊就館1

 

靖国神社の遊就館2

 

艦上爆撃機「彗星」

 

ロケット特攻機「桜花」

 

「日露戦争百年 図鑑」

 

奉天に入城

 

戦艦「三笠」

三笠艦橋の図

ロシアバルチック
艦隊と激戦